カルティエ/アシメトリック モチーフ Part.1

huaweiwearabless 20/02/2023 517

記憶に残るデザインをアイコニックと称するなら、頂点は昔から不変である。それがカルティエの作り出した、アシメトリックなケースの時計たちだ。1920年代という腕時計の黎明期、カルティエは異形ケースの製造に取り組み、やがて傑作タンクにもアシメトリックな造形を与えた。なぜカルティエのみが、非対称のケースに挑めたのか。それをひもとくのが、ジュエラーとしてのカルティエの歩みだ。

星武志:写真 Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas)広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)[クロノス日本版 2021年7月号 掲載記事]

左右非対称が生み出す美の形状~異端とも言うべきデザインの試み~

今でこそ当たり前になったアシンメトリーな造形。腕時計の黎明期から取り組んでいたのはカルティエだ。1920年のクロシュ、36年のアシメトリック、そして67年のクラッシュ。この3作から見えるのは、デザインで多様な試みを行ってきた、カルティエのユニークな歩みである。

Archives Cartier Ⓒ Cartierクロシュ リストウォッチ [1920]資料を見る限りで言うと、カルティエが初めて製作した非対称時計がクロシュである。これは1922年に製造された個体。置き時計として使えるように、ケースの6時位置は平たく成形されている。なお、初期のクロシュは限定版だったと記録にはある。

カルティエの歴史の中で、異端とも言うべきモデルがいくつかある。1985年にリバイバルした「パシャ ドゥ カルティエ」はそのひとつだ。当時の軍用ダイバーウォッチに範を取った本作は、王の宝石商が作る時計としては、かなり風変わりなものだった。しかし、デザインで言えば、アシメトリックモチーフに比肩するものはないだろう。今でこそ、リシャール・ミルなどが、アシンメトリーな造形の高級時計を作るようになった。しかし、カルティエは腕時計の黎明期からアシンメトリーデザインに取り組んでいたのである。腕時計が普及していない時代から、異形なデザインを採用する。カルティエの試みは、他社に比べて、少なくとも半世紀は早かったように思える。

カルティエという「ジュエラー」が名声を博した一因に、さまざまなスタイルを採用したことが挙げられる。カルティエは世紀に入るまで、古典的なガーランド(花手綱)様式を好んでいたが、1906年頃から、新しいスタイルに取り組むようになった。具体的には、幾何学模様と抽象的な造形である。

Vincent Wulveryck, Collection Cartier Ⓒ Cartierタンク ロザンジュ リストウォッチ [1936]非対称を推し進めたのが、1936年の「タンク ロザンジュ」である。これはストラップを3本のラグで固定する「ロザンジュ ア ブリッド」。おそらく9リーニュの手巻きムーブメントを搭載していた。このケースの他にも、ふたつのラグで固定するモデルが製作された。N.Welsh, Collection Cartier Ⓒ Cartierタンク オブリーク リストウォッチ [1963]少なくとも1957年の時点で、カルティエはアシメトリックの再生産を開始していた。これはその再生産モデル。製造はおそらくジャガー・ルクルト。1963年、カルティエ・パリは926本の時計を販売し、そのうち703本は、本作を含む、タンク以外のモデルだった。

変化が加速したのは、シャルル・ジャコーがデザイナーとして加わって以降と宝飾史家のハンス・ナーデルホッファーは記す。彼のまとめた大著『カルティエ』は、「ジャコーの最も大きなカルティエと現在デザインに対する貢献は、ガーランド・スタイルを捨ててもっと大胆な色彩とデザインを取り入れるようになって、新たなデザインの美意識を育てたことにある」と記載している。彼は中国風、インド風、エジプト風、平坦な幾何学模様を強調したバレエ・リュスなどを採用することで、「結果として」カルティエに質の高いアール・デコ様式をもたらしたのである。

興味深いのは、カルティエは一貫して、ひとつのスタイルに固執しなかったことだ。当時カルティエを牽引していたルイ・カルティエは、ガーランド様式を好んでいたが、ひとつのスタイルに執着はしていなかった。彼はガーランド様式の対抗馬となったアール・ヌーボーには冷淡だったし、カルティエが「結果として」獲得した、アール・デコ風のスタイルでさえも、その括りでまとめられることを好まなかったふしがある。1925年の万国博覧会で、カルティエはアール・デコを強く打ち出したにもかかわらず、である。

さておき、「大胆な色彩とデザイン」というジャコーのスタイルが最も影響を与えたのは、1910年代から製作された新しい腕時計だった、と言える。ルイ・カルティエの開設した「S部門」(Sはシルバーの意味)で、ジャコーは実用性に富んだ日用品のデザインを手掛け、その中には、もちろん当時最新鋭の腕時計も含まれていた。カルティエの流儀でデザイナーの名前は記されていないものの、幾何学的、そしてシンメトリーな「タンク」の造形に、バレエ・リュスに魅せられたジャコーの姿を見出すのは難しくない。しかも、この時代のパリで、バレエ・リュスが大きなトレンドだったことを考えればなおさらだろう。

Jean-Marie del Moral Ⓒ Cartier1951年から独自の腕時計を開発するようになったカルティエ・ロンドン。60年代後半には、パリのデザインを踏まえつつも、大胆なデザインを採用するようになる。その一例が、写真に見られる極端に長いインデックスだ。

幾何学とシンメトリーを好んだジャコーのスタイルは、少なくとも30年代初頭まで、カルティエの腕時計に大きな影響をもたらした。カルティエの腕時計が好むローマ数字も、おそらくはそれがアラビア数字に比べてシンメトリーに見える、という理由で採用されたのではないか。

もっとも腕時計であっても、カルティエは自らの作ったスタイルに固執していなかった。いくつかのタンクはアラビア数字のインデックスを持っていたし、1920年に製作されたクロシュは、カルティエの腕時計としては例外となる、アシンメトリーな釣鐘型ケースを持っていた。このコレクションに全く違うスタイルが許された理由は、おそらく、ナーデルホッファーが言う「カルティエの時計部門は、長い間風変わりな顧客たちによって大いに愛好されていた」ためだろう。この腕時計をドライビングウォッチのはしりとする意見もあるが、実際のところ、この変わったデザインは、腕から外した時に、置き時計として使うためだった。この時代、ペンダントウォッチの需要が高まり、一方で腕時計の需要が減退していた。ひょっとしたらカルティエは、腕時計の新しい需要を喚起するために、あえてこういうデザインを与えたのかもしれない。

Cartier London Archives Ⓒ Cartier1930年に描かれた、アシメトリックの文字盤デザイン。もっとも、この時代のカルティエ ウォッチは、デザインのバリエーションが極端に多い。カルティエが時計デザインの共通化を図るのは、ロベール・オックとアラン・ドミニク・ペランが「レ マスト ドゥ カルティエ」を発表して以降のことである。

カルティエ/アシメトリック モチーフ Part.1

1920年代以降、カルティエは「S部門」が製作する実用品(と言っても極めつきの高額品だったが)を打ち出すようになった。女性用はバッグ、男性用には腕時計。カルティエ本店のショーウィンドウにはシンメトリーなタンクや、ラウンドの懐中時計が並び、カルティエはそのささやかな「民主化」をアピールしたのである。その一方で、ユニークな時計を求める顧客ももちろん存在した。彼らは今まで通り、他にはない機構やデザインの腕時計を望んだ。この時代のカルティエは、世界で最も醜い時計を作れという依頼にも応じたのである。

そんな顧客の依頼で作られたモデルが「タンク ロザンジュ」、現在で言う「タンク アシメトリック」である。36年9月日の伝票には次のような記述がある。「ブレスレット付きの金時計。パラレログラム(平行四辺形)。モデル385。革ベルトとアルディロンバックル付き。ムーブメントはU」。依頼主はフランス在住の某氏で、その販売価格は2200フラン。製造したのは、今までのカルティエ製腕時計に同じく、ジャガー(現ジャガー・ルクルト)だった。

Vincent Wulveryck, Collection Cartier Ⓒ Cartierクラッシュ リストウォッチ [1967]1960年代後半に、カルティエ・パリとは違う打ち出しを行うようになったカルティエ・ロンドン。その傑作が、ゆがんだケースを持つクラッシュだ。そのケースは、時計というよりも、ジュエリーに由来する彫金技術で製造された。カルティエ蔵。Vincent Wulveryck Ⓒ Cartierクラッシュ スケルトンウォッチ [2015]2010年に、自社工房を完成させたカルティエ。ケース内製化への取り組みは、再現が不可能とされたクラッシュをリバイバルさせた。手巻き(Cal.9618 MC)。20石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約72時間。Pt(縦45.32×横28.15mm)。世界限定67本。参考商品。

後にミリタリーウォッチに範を取って「パシャ」を完成させたカルティエが、腕時計のトレンドに無頓着だったとは考えにくい。あくまで推測だが、おそらくカルティエは、これをドライビングウォッチとして製作したのだろう。インデックスが斜めに置かれていれば、運転の際に時間は読み取りやすくなる。20年代のアメリカで見られたこのスタイルを、カルティエは注意深くタンクのデザインに融合させた、と考えるのが妥当だろう。もっとも、生産性の悪いレクタンギュラーケースを、さらに非対称に改めたのが、カルティエのユニークな点だった。複数のバリエーションがあったことを考えれば、カルティエはこのモデルをレギュラー化したかったに違いない。しかし、36年10月にフランスが金本位制を離脱した結果、高価な金時計の製作は難しくなった。そして39年に勃発した第2次世界大戦により、このユニークなモデルは封印されてしまったのだ。

戦後すぐのカルティエは、腕時計に対して保守的なスタンスを取った。最も大きな理由は、腕時計への取り組みを推し進めたルイ・カルティエが亡くなったことである。電気式のクロックを作らせるほど時計に魅せられた彼が、腕時計の大量生産を考えなかったとは思いにくい。しかし、彼の亡くなった42年の時点で、カルティエ・パリの販売した時計の本数は、年にわずか390本と、お世辞にも大規模とは言えなかったのである。そのうちタンクは38本で、それ以外が352本。以降のカルティエが、腕時計から距離を置いたのは当然だろう。

大きな変化の前触れは、1933年のことだ。18年頃にカルティエに入社したジャンヌ・トゥーサンが、同社のクリエイティブディレクターとなったのである。ルイ・カルティエに「パンテール」とあだ名を付けられた彼女は、事実、豹のモチーフを好み、たちまち世界的な評価を得た。そのトゥーサンを、ユベーヌ・ジバンシィはこう評価する。「彼女はジュエリーを現代のファッションに統合させた。彼女が成し遂げたのは、ジュエリーとファッション、そしてスタイルの融合だった」。

クロシュ ドゥ カルティエ スケルトンウォッチ [2021]スケルトンを得意とする現代のカルティエ。2021年は、このムーブメントをクロシ ュのケースにも収めた。手巻き(Cal.9626 MC)。25石。2万1600振動/時、パワーリザーブ約38時間。18KPG(縦37.15×横28.75mm)。3気圧防水。世界限定50本。予価712万8000円(税込み)。

バッグデザインでカルティエでのキャリアを始めた彼女は、後にジュエリーや特別製作品、そして37年以降は、時計のデザインも手掛けるようになった。その後、彼女はカルティエのディレクターとなったが、1955年以降はその職を辞して、デザインだけに注力するようになった。バッグでキャリアを始めた彼女のもとで、カルティエの時計が、ファッションに近づいたのは当然だろう。

かつてトゥーサンを招聘したルイ・カルティエは、彼女に「デッサンをするな」という奇妙なアドバイスを与えた。自らを「珍しいアマチュア」と称した彼女は、専門教育を受けたことがない故に、既存のデザインに縛られなかったし、ルイ・カルティエはそこに未来を見出したのである。

1967年に発表されたクラッシュは、そんなカルティエの変化を象徴したコレクションだった。デザインのモチーフが潰れたベニュワールだったか、偶然に交通事故で壊れた時計だったかはさておき、かつてないほどファッションとの親和性を感じさせるデザインは、際立って「トゥーサン的」である。なお、本作のデザインを手掛けたのは、カルティエ・ロンドンである。しかし、トゥーサンが注意深く、ロンドンやニューヨークのデザインをチェックしていたことを考えれば、その破綻したデザインは、彼女の影響とは無縁ではないだろう。

もっとも、風変わりな時計に寛容なカルティエの顧客でさえも、アシンメトリーなデザインを好む人は限られた。加えて、その製造コストは、レギュラーモデルにまして高価だった。カルティエがアシンメトリーな造形を本格的に復活させるのは、同社が最新の生産設備を揃えた、2010年以降を待たねばならない。

CLOCHE DE CARTIER100年を超える歴史を重ねたカルティエの鐘

クロシュ ドゥ カルティエ古典的なデザインをリバイバルさせた「カルティエ プリヴェ」。2021年の新作はなんとクロシュである。手巻き(Cal.1917 MC)。19石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約38時間。Pt(縦37.15×横28.75mm)。3気圧防水。世界限定100本(他にも18KPG、18KYGもあり)。予価361万6800円(税込み)。

限定版として、ごく少数生産されたオリジナルのクロシュ。以降もカルティエは、この魅力的なデザインを何度かリバイバルした。代表的なものは、1984年製のモデル、そして95年と2007年の限定版である。もっとも、上下のアシンメトリーケースを持つ前者のモデルは、オリジナルと異なるデザインであり、後者ふたつは、カルティエコレクター向けに作られた、完全な限定品だった。カルティエは「カリブル ドゥ カルティエ」でマニュファクチュールとなり、以降は、モダンなウォッチメイキングに注力するようになった。

カルティエが、再び往年のコレクションに目を向けるようになったのは、2015年頃である。現在同社でCEOを務めるシリル・ヴィニュロンは「かつて愛されたカルティエに戻ろう」と述べた。当時その意図は受け入れられなかったと彼は述べたが、ヴィニュロンがCEOに就任することで状況は変わった。新しい「クロシュ ドゥ カルティエ」には、新作よりも美しいものを、という彼の意図が見て取れる。

もっともこれは、かつてのような完全なリバイバルではない。ケースはややマッシブに改められ、インデックスも同様に太くされた。そのデザインは、ヴィニュロンが言う「過去を正しく振り返った」結果と言える。

ケースの仕上げも、モダンに改められた。2010年以降、カルティエは、ムーブメントだけでなく、外装も自社で製造するようになった。非常に歪みの小さな面で構成される非対称ケースは、本作が、1920年ではなく、2021年に作られたモデルであることを証する。

好事家向けという枠を超えて、普通の時計好きにも訴求する内容を備えた新しいクロシュ ドゥ カルティエ。今思えば、そのデザインは、アイコンが求められる現代にこそ、ふさわしいものではないか。

基本的なデザインは往年にほぼ同じ。しかし、ベゼルの上面はわずかにフラットになった。かつてのクロシュはベゼルの角を落とし、側面につなげるデザインを持っていたが、対して新作は、明らかに角を立てている。もっとも、磨きのレベルは往年のモデルよりもさらに良い。面の歪みが小さいことは、ケースにかかった影の歪みの小ささが示す通りである。18KWGモデルはゴールドサテン、 18KPGモデルはブラックサテン文字盤を持つクロシュ。対してPtモデルには、アイボリーのオパーリン文字盤が与えられた。カルティエとしては珍しい試みだが、粒子が適度に細かく、質感、視認性ともに優れている。わずかに赤みがかっているのは、リュウズにあしらわれたルビーとバランスを取るため。ケースサイド。以前のクロシュとの違いは、主にリュウズ。カボションカットのルビーが与えられたほか、指あたりの良い形状に改められた。注目すべきは風防の形状。かつてのクロシュは、ミネラルガラス風防を持っていたが、新作は硬いサファイアに改められた。角が割れないよう、注意深く丸みを持たせている。普段使いができるのが、新しいクロシュの魅力だ。今の加工技術を証する写真。軟らかいプラチナ素材にもかかわらず、磨きは良好だ。レザーストラップは高級機らしく、ネジで固定される。
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