漫画への憧れと、持ち前の度胸で夢を掴む。日向山葵の制作のヒミツ

huaweiwearabless 23/06/2022 750

ー日向さんが絵を描き始めたきっかけを教えてください。

日向:幼稚園のときに仲のよかった友達のマホちゃんと、どちらが上手に絵を描けるか競いあっていたのが、一番最初の絵の記憶です。母が漫画やアニメが好きで家にたくさんあったので、小学低学年くらいから漫画にのめり込んでいきました。それから「漫画家ってかっこよくて楽しそう!」と意識するようになりましたね。

ー漫画家への憧れが原点にあるんですね。

日向:そうですね。それで、小学4年生のときに絵が上手な友達と一緒に漫画雑誌みたいなものをつくったんです。みんなで絵を描いてホチキスで綴じて、セロテープで表紙をラミネートみたいにコーティングして一丁前に「スイーツ☆」っていう名前をつけた本が完成しました。それが、つくることの原体験なのかなと思います。

ー小学生のときにいわゆるZINEをつくっていたってことですよね。そのときから漫画家になりたいという夢を持っていたんですか?

 漫画への憧れと、持ち前の度胸で夢を掴む。日向山葵の制作のヒミツ

日向:ZINEと呼べるほどかっこいいいものではなかったですが(笑)、漠然と「将来は漫画を仕事にする」という気持ちはありました。他の進路を考えることもなかったと思います。母親も漫画家志望でしたし、2つ上の姉も絵が上手だったので、環境的には自然な流れだったのかも。ただ、姉はけっこうモテたので、メインカルチャーのほうに進んでいきました。

ー「モテたので、メインカルチャーのほうに」って、面白いですね(笑)。

日向:小さいころから、モテない私とは少しずつ違いが生まれていきましたね(笑)。姉は女の子として真っ当に存在していけたけど、私は「女子であることが下手」という感じで、存在が謎ポジションだったなと。でもその分グループや派閥には属さずいろんなタイプと仲良くしていました。勉強はあまり好きじゃなかったんですが、中学生のときには生徒会長をやりました。それも高校受験を推薦でラクにパスするため、というずるい考えで(笑)。

ー「モテない」とおっしゃっていましたが、生徒会長をやって、分け隔てなく同級生と仲良くできるって、人望があってモテそうだなと思いますが。

日向:いやあ、本当にモテなかったですね~(笑)。とくに私が思春期を過ごしたころは、銀杏BOYZみたいなバンドが流行っていて「モテない奴のフラストレーション」みたいな表現が共感を生んで、ひとつのブームになっていたんですよ。当時から聴いている『エレ片のコント太郎』(TBSラジオ)も、そういう「モテない」話がよく出てきました。

私の進学した高校は女子校だったんですけど、ものすごく校則が厳しくて、いわゆる男女交際的な「THE青春」に無縁だったんです。でも、身近な存在である姉は都立高校の軽音楽部に所属して、「Zipper」みたいな裏原のファッションをしていた。私にはすごく華やかに見えました。

その落差を日々突きつけられて、沸々とした「モテない」みたいな気持ちをお腹のなかで燃やしてモチベーションにしていたみたいなことは、たしかにあったと思います。